今月の一言
2024年3月のひとこと
子どもの頃、よくバケツにいっぱいカニを捕って遊んでいました。「お前はそれをどうするの」と言われても、別にどうするわけでもない。捕ったらあとは放すしかありません。子どもはそういう目的のない行為が大好きです。生きているとは、そういうことです。
私の家は鎌倉の警察のわきで、横丁でした。後に母から聞いたのですが、私が幼稚園から帰ってきて、横丁でしゃがんでいる。母は「何しているの」と聞く。「犬のフンがある」「犬のフンがあって、どうしたの」「虫が集まっている。虫が来ている」。そして母が聞くわけです。「こんな虫のどこが面白いの」。どこが面白いのと言われても、本人が面白いのだから仕方ありません。こういうふうにして、人間といろいろな事や物を覚えるのです。大人は、子どもが好きなことをやっているときに、それが何のためかという無意味な質問を繰り返す動物です。私はそれを子どもの頃から知っていました。
『ものがわかるということ』 養老孟司著
祥伝社 令和5年2月 より
養老先生は、大人が「無意味な質問を繰り返す動物」ということを子どもの頃からご存知だったようですが、恥ずかしながら私はいまだにその「無意味な質問」をしてしまうことがあります。いけないことだと知りつつも自分の価値観の範囲内で子供たちと接してしまう癖はなかなか治らないものです。
以前この欄で「一見無駄に見えることの中に、子どもにとって実はとても大切なことがある」というお話をさせていただきましたが、常にそのことを意識しながら、学校(本郷)という場所が「子どもたちが楽しいと感じていることを思い切りできる空間」であるよう、我々教員は日々努力を重ねなければいけないと改めて思いました。