卒業生紹介

卒業生紹介

中学入学生|中村 織雄さん

Profile
1990年4月 本郷中学校入学
1996年3月 本郷高等学校卒業
1996年4月 茨城大学理学部地球生命環境科学科入学
2000年3月 同学科卒業
2000年4月 東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻入学
2002年3月 同専攻博士前期課程(修士課程)修了
2002年4月 本田技研工業株式会社入社
2002年8月 株式会社本田技術研究所配属

株式会社本田技術研究所 エアロエンジンセンター
商品開発室 商品開発ブロック 研究員
技術士(機械部門、総合技術監理部門)
入社以来17年にわたってジェットエンジンの開発に携わる。
ターボファンエンジン「HF118-2」および「HF120」の開発において、構造解析、空力設計などを担当。

人としての生き様を築く場所

私が入学した頃の本郷は、いわゆる偏差値の高い学校ではなかった。第一志望校、第二志望校の入試に夢破れて本郷に入学した人も少なくなかったのではないかと思う。かく言う私も負け犬だった。そんな私達に対して、本郷の先生方は、時には優しく、時には厳しく、時には情熱的に、時には涙さえ浮かべながら全身全霊で向き合ってくれた。先生方の熱心な指導のお陰で、負け犬だった私も、いつしか自信を取り戻し、劣等感を克服した。
私は成績の良い生徒ではなかったが、本郷を卒業した後は何とか地方の大学に入り、無事に就職もした。現在は、航空機のエンジンを設計する仕事をしている。子供の頃から飛行機が好きで、大学生の時には航空技術研究会というサークルを自ら立ち上げ、鳥人間コンテストに出場した私にとって、今の仕事は天職と呼べる仕事である。私が開発に携わったHF120エンジンは、ホンダジェットという飛行機に搭載され、現在、世界中の空を飛んでいる。昨年はホンダジェットのテレビCMが話題になり、多くの方々から好評を頂いた。私達が作り上げた製品に、たくさんの人達が夢を感じてくれていることが何よりも嬉しい。
決して頭が良いわけでもなく、要領が良いわけでもない私が、人並みの仕事に就くことができたのは幸運によるところが大きい。しかしもし、幸運以外にもう一つ何か理由を挙げるとするならば、目標に向かって前進し続ける力があったことかもしれない。そしてそれは、本郷での6年間が私に与えてくれた最大のものだ。自らの意志で前に出ること、決して後ろに下がらないこと。そういう姿勢で生きていくことの大切さを、私は本郷で学んだ。
早いもので、私が本郷を卒業してから23年の月日が流れた。今でも時々、懐かしい学び舎に恩師を訪ねていくことがある。時の流れとともに、本郷の風景もだいぶ変わった。校庭には人工芝が敷かれ、古い校舎は建て替えられた。しかしいつ本郷を訪れても、23年前と変わらないものがある。愚直なまでに真剣に生徒達と向き合おうとする先生方の姿勢や、そこから感じられる哲学だ。
負け犬として本郷に入学した私だが、本郷の卒業生であることは、今の私にとって最大の誇りである。


高校入学生|田中 優さん

Profile
2015年4月 本郷高等学校 入学
2018年3月 本郷高等学校 卒業
2018年4月 早稲田大学政治経済学部 入学

高校時代は陸上競技部に所属。
大学では政治学を学ぶ傍ら、陸上とラグビーの同好会を掛け持ちし、文武両道を貫いている。

本郷生活は間違いなく楽しいもの

高校入学生として私は本郷高校で3年間お世話になりましたが、改めて振り返ってみると、ありきたりではありますが非常に充実していたと感じています。本郷で得たものすべてをここに書き連ねることはできませんが、一つ自分にとって最も大きかったことをあげると、かけがえのない友人を手に入れることができたということではないかと思います。思い返すと3年間通った中で、学校が面倒くさい、とか行きたくない、と思ったことが一度もなかったのではないでしょうか。教室に入れば楽しい友人がいる、部活に行けば気の置けない仲間がいる、といったようにむしろ「学校に行きたい」と思うような環境があったのです。それは受験勉強に精を出していた時期も同様で、精神的にも辛いことがあった中、学校に行けばそれを忘れ心の底から笑うことができ、誤解を恐れずに言えば学校がある種の「オアシス」でした。そうした環境を与えてくださった本郷高校には心から感謝していますし、なによりもその自由な校風が本郷の最大の良さだと感じています。補習や小テストはもちろん実施されますが、基本的に先生方は私がしたいように勉強させてくださいました。学習面を含め様々な点で本郷は私たちの自主性を尊重してくださっていたと思います。
大学に入学し、新たな友人の輪ができましたが、彼らに聞いてみると高校は必ずしも楽しいものではなかったようです。一方私の部活の後輩はこう言っていました。「本郷って日本で一番楽しい高校ですよ、間違いないです。」私も本当にそう思います。今後も本郷生であったことを誇りに思い精進していきます。


杉下 和行さん

Profile
本郷中学校 入学
本郷高等学校 卒業
東京大学教養学部理科三類 入学
東京大学医学部医学科 卒業
東京大学医学部精神医学教室入局
東京大学医学部附属病院精神神経科助教
王子こころのクリニック院長
医学博士、精神保健指定医、精神科専門医・指導医

※医療上のポリシーに則り、公開可能な医師属性を開示頂いております。

本郷学園のすゝめ

この冊子を手にとっていらっしゃる方は本郷学園への入学を考えている受験生の皆様、あるいはその保護者の皆様でしょうか。実を言うと、私が本郷学園に在籍していた頃は勉学よりもスポーツが盛んでした。ラグビー部、サッカー部、水泳部など全国的に有名な部活が多数存在していました。今では本郷学園と言えば進学校として知られるようになり、隔世の感があります。私自身、中学・高校ともにそれぞれ運動部に所属しておりました。とても全国レベルで戦える力はありませんでしたが、それは勉学においても同様でした。その後、幸運にも希望する大学に入学することができましたが、本郷学園の先生方からのご指導によるものと感謝しております。
良い学校には共通することがあります。それは優れた同窓会ネットワークが存在するということです。大学時代、全国の名門高校出身者と出会う度に彼らのネットワークを羨ましく感じたものです。「杉下君、どこの高校?」と何気なく聞かれて、「本郷高校」と答えたところ、決まって「都立の本郷?」と聞かれました。今では、東京で「本郷」と言えば知らない人はまずいません。現在、私は本郷学園同窓会でも活動をしており、「本郷医師の会(http://hongoishinokai.wixsite.com/home)」の幹事長を務めております。「本郷医師の会」は2013年に設立された新しい組織ですが、医学部合格者が年々増えていることもあり、会員も増加の一途をたどっております。本郷学園はこれから益々伸びていく学校だと思います。高校を卒業してそれで終わりではありません。一生続く付き合いをしようではありませんか。受験生の皆様のご入学を心よりお待ちしております。


2016年3月卒業 高校入学生|石井 衛さん

Profile
2013年4月 本郷高等学校 入学
2016年3月 本郷高等学校 卒業
2016年4月 京都大学理学部物理学科 入学

大学ではヨット部に所属。
勉学と部活の両立は大変だが、充実した毎日を送っている。

良き友と出会えて

東京を離れ、京都に一人で住むことになり、改めて高校時代の友との楽しかった日々を思い出す。高校1年の頃、高校入学生のクラスは2クラスしかなく、友達ができるか不安だった。オリエンテーションを終えると、そんな不安が無意味だったかのようにクラスの友達と仲良くなることができた。高校2年からは、受験指導が本格化して、大学進学を意識するようになり、夏休みには友達とオープンキャンパスに行ったのを覚えている。
自分が本当にやりたいことを見定めるのは難しいものであったが、それぞれの目標について友と語り合う中で、京大で学びたいという気持ちが強くなった。高校3年では、数学の授業で難しい入試問題を扱うようになった。解けない問題などがあると昼休みに友と考え、教え合った。受験勉強は決して平坦なものではないが、休み時間や登下校などの友とのたわいもない会話が、私にとっては心休まる時ともなった。本郷高校に入学して目標である大学に合格できたのは、それぞれの目標をもち共に高め合える友と出会えたからこそだと思う。最後に京都に旅立つ日、品川駅まで見送りに来てくれた友がいた。そんな友と出会うことができた本郷高校に心から感謝している。


2013年3月卒業 高校入学生|花村 鴻太郎さん

Profile
2010年4月 本郷高等学校 入学
2013年3月 本郷高等学校 卒業
2013年4月 東京工業大学第4類 入学

2014年4月より工学部経営システム工学科に在籍。大学では経営や財務、最適化理論について学ぶ傍ら、アルバイトでは塾講師をし、人に教えることの楽しさを日々実感している。

一生の友人に出会える場所

本郷高校に入学して間もなく、クラスメイトの顔と名前が一致しない状態の中、新入生オリエンテーションで箱根に行ったことを覚えています。箱根までの道中、バスで隣の席に座ったのがきっかけで入学して初めての友人ができました。出席番号も近かったので同じ部屋に泊まることになり、お互いのことを知るにはとてもよいイベントだったと思います。高校入学当時、私は東工大に行くために、クラスメイトに対して小さなライバル意識をもって陰ながら勉強していましたが、孤独な勉強は長く続きませんでした。そんな中部活動のテニスが少しずつ上達し、勉強以外のたくさんのことが楽しく感じられるようになりました。学年が上がって、初めての友人の彼やテニス部のメンバーの多くが同じクラスになり、毎日の学校生活がとても楽しく感じました。友人らとの話題はもっぱら野球で、ドラフト会議中継を見るために皆で集まったことを今でも鮮明に覚えています。高三になりいよいよ志望校を決めるとき、志望校の欄に「東工大」と書く勇気をくれたのはやはり友人でした。三年生にとって大学進学は皆の目標であり、同じ目標に向かって言葉をかけ合い、ときには教え合ったりできる環境、それが本郷高校の魅力だと思います。思うような結果が出ない時もあり、ともに苦しい思いをした仲間だからこそ、喜びも分かち合えました。高校を卒業する時には彼らと別れるのがとても寂しいと思いましたが、大学生になって新しい友人が増えた現在でも良い友人関係であり続けています。かけがえのない一生の友人を得られたことを本郷に感謝しています。


2010年3月卒業 中高一貫生|山本 悠理さん

Profile
2004年4月 本郷中学校 入学
2010年3月 本郷高等学校 卒業
2010年4月 慶應義塾大学法学部法律学科 入学
2014年3月 同学科 卒業
2004年4月 朝日新聞社記者、新潟総局勤務
2015年5月 同山口総局勤務

慶應義塾大在学中は文化社会論および同大メディア・コミュニケーション研究所にてメディア論を研究。福澤諭吉記念文明塾コア・プログラム七期生。

本郷との「縁」

本郷中学に入学してすぐのこと。当時担任の先生が、まだ十二歳の私に勧めた本が、独の文豪ヘルマン・ヘッセの小説「デミアン」。もちろん、そこに書かれていた意味ははっきりとは分かりませんでした。けれど、言葉から浮かぶ幻想的な雰囲気に大きな感動を受けました。先生のひと言が私の読書の扉を新たに開いたのです。
「英語で朝読書」。中学二年の時には教室の掲示に眼が止まりました。英語の先生が有志を募り、朝に英語の本を読む。早朝の小さな教室で三、四人ほどが「この意味は」「こう訳した方が良い」……。通常の授業とはまた違う、先生と共に議論する時間でした。会は大学受験の直前まで続きました。
卒業後も本郷との縁は続き、深まりました。就職活動を控え、高校三年間の担任だった先生が教えて下さったのが、とある詩集。そこにあった言葉は、進むべき道は何かを私に示してくれました。その先生は今なお、豊かな知識を授けて下さいます。
現在、私は新聞記者として働いています。幅広いものごとに興味を持てるか否かで、意義が大きく変わる仕事です。これまでを振り返り、いかに今の私が本郷の中学・高校時代で得たものに支えられているのかを痛感しています。
本郷での日々は、皆さんの手で自由に形作れます。ここは間違いなく、真剣に求めるほどに多くのことを、一人前の大人として教えてくれる場所です。何でも出来ます。そうした学びや出逢いは、時を経るにつれ、皆さんの中で輝きを増していくことでしょう。中学一年の時からの親友は、様々な困難を乗り越え、高校を卒業して三年後に大学に入りました。その後、彼は成績優秀者として大学から表彰されました。彼と会うたびに、「自分も頑張らなければ」と背筋の伸びる思いがします。本郷は、これからも私に素晴らしいものを与え続けてくれるでしょう。その意味で、私はずっと本郷の生徒です。皆さんの学舎での日々が、どうか実り多きものでありますように。


2002年3月卒業 中高一貫生|水谷 圭一さん

Profile
2002年3月 本郷高等学校卒業
2007年3月 大阪府立大学工学部電気電子システム工学科卒業
2009年3月 東京工業大学大学院理工学研究科電気電子工学専攻修士課程修了
2012年3月 東京工業大学大学院理工学研究科電気電子工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)取得

ドイツ連邦共和国フラウンホーファー研究機構ハインリッヒ・ヘルツ通信技術研究所客員研究員、独立行政法人日本学術振興会特別研究員DC1、独立行政法人情報通信研究機構ワイヤレスネットワーク研究所研究員等を経て2014年10月より京都大学大学院情報学研究科通信情報システム専攻助教(工学部電気電子工学科兼担)。

挑戦する勇気、成し遂げる力、そして仲間。

「何事にも挑戦する勇気」、「物事を成し遂げる努力」、「仲間達との協力・思いやりの心」。現在の研究教育活動や私生活においてとても大事だなと思うこの「三つ」。本郷高校を卒業して早いもので十年(と少し…)経ちましたが、振り返ってみると、これらの基本精神を育んでいただいたのは本郷中学・高校でした。本郷在籍時は生徒会活動やバンド活動、部活動…、様々な活動に挑戦・没頭する機会をいただきました。本郷は自由な校風であると思いますが、これは言い換えれば自主性が重んじられるという事でもあります。本郷の先生方はこの観点からもとても教育的な指導をして下さいます。日々の勉学に励む事は言うまでもなく重要ですが、それだけでなく、何事にも挑戦する気概を持ち、バラエティーに富んだ仲間達と色々な事に挑戦し、目標を定めて達成する努力をしてみて下さい。私は本郷卒業後、学部3年で国内学会発表、学部4年で国際学会発表を行う等、様々な挑戦をさせていただきました。大学院進学後は、文部科学省管轄の特別研究員として最先端の研究に従事する機会をいただき、また留学もさせていただきました。また関東一円の大学生・大学院生による学術ワークショップの委員長を務め、若手研究者・学生のための研究コミュニティーの発展に寄与しました。博士取得後は総務省管轄の通信研究所で大きな研究プロジェクトに参加し、国際的に活動させていただきました。現在は京都大学の助教として、世界最先端の無線通信技術の確立を目指して研究教育活動に勤しんでいます。何事にも挑戦する気概を持ち、成果を出す努力を怠らなければ沢山のチャンスに巡り会える可能性が高くなります。基礎学力だけでなく、応用力、コミュニケーション力、プロジェクト遂行力、人を思いやる力、そして体力精神力等、社会に出て皆さんが夢を叶えるのに必要な力の礎を本郷で築き上げて下さい。皆さんを最大限サポートして下さる先生方や頼もしい仲間達が本郷学園できっと見つかるはずです。


2013年3月卒業 高校入学生|加藤 雄己さん

Profile
2010年4月 本郷高等学校入学
2013年3月 本郷高等学校卒業
2014年4月 東京大学文科三類入学
2015年4月より教養学部に在籍。将来国際社会で活躍することを目指して英語以外の言語を自ら学びながらもラクロス部で活動し、文武両道を実践している。

自分で考え行動する力が、本郷で養われました。

「教えない」何度も高校時代の部活で言われたことでした。高校からバスケットボールを始めた私にとっては驚きでした。基礎練習をした上で、試合でどう動いたらよいかを自分で考える、そんな日々が続きました。体力的にはもちろん、考えることが多いので精神的にも辛かったのを覚えています。しかし、同じ目標を持つ仲間のおかげで乗り切り、達成感を持って引退することができました。部活動のおかげで忍耐力がつきましたし、一つのことを継続・徹底することの大切さを知ることができました。浪人を決断したのも、また1年間勉強中心の生活を全うできたのも、バスケ部のおかげだと思います。きっと他の学校であれば指導方針も違ったと思います。自主性を尊重し育ててくれた本郷で部活動に打ち込み、勉強でも仲間と切磋琢磨できたのは、とても幸せなことだったのだと卒業した今強く感じています。高校のバスケ部の先輩から誘われたこともあり、大学ではラクロス部に入部しました。ラクロスはまだマイナーなスポーツですが、東大は強豪校で学生日本一を目標に掲げています。練習は大変ですがここでも本郷で学んだことが多く活きています。大学卒業後の明確な職業や職種はまだ決まっていませんが、大雑把に言えばグローバルな人材になりたいと思っています。何を専門で勉強するにせよ、どんな職に就くにせよ、本郷で得た「自分で考え動く力」は社会に出てからもあらゆることの礎になってくれると思います。