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今月の一言

2022年9月のひとこと

わたしたちにとっての情報のあり方やコミュニケーションのあり方をめぐって、このところずっと強調されてきたことは、まず「発信する」ということの大事さです。

発信するというのは、自分から外部へ、情報を送りだすこと、言葉を発してゆくこと、意味を表してゆくことです。わたしたちの今日を特徴づけるのは、なにより情報産業の発達ですが、情報産業というのは、そのまま発信産業といっていいほど、発信するちからを引きだすことにちからを注ぐことで発達してきました。

けれども、発信することの大事さが強調されればされるほど、逆に、いつかすっかり衰えてきているように思えるのが、「受信する」ちからです。

他者の発しているシグナル。他者の求めているコミュニケーション。他者の言葉。他者の沈黙。そうした他者の存在というものを、自分から受け止めることのできる確かな受信力が、ずいぶん落ちてしまっているのではないか。そうした受信力の欠如が、今では、社会のあり方を歪ませるまでになっていないか、どうなのか。

受信するちからを、自分のうちに、生き生きとたもつことができるように、もっと苦心しなければならない、と思うのです。そうでないと、大切なものを自分に受けとめて、自ら愉しむということが、いつかできないままになってしまう。

「なつかしい時間」 長田弘 岩波新書
2013年2月

 変化のスピードがはやく「5年ひと昔」と言われている現在では、この本が発行された2013年はかなり前のことのように感じますが、記載されている内容は決して古くはなく、むしろ現在の方がより強く当てはまるものではないかと感じています。

 学校の中でも生徒の「発信力」を磨くために色々な工夫をしておりますが、その一方で「「受信する」ちから」を身に付けるために何か特別なことを行っているかと問われれば、具体的な対策は行っていないというのが現状です。

 ただ、「「受信する」ちから」、私なりに言い換えると「他者を感じる」ちからというものは、それを身に付けるために何か具体的な方策をとることと同様に、日常生活の中で他者と積極的に交わること、そしてその交わりを通して感じる他者の心の動きに敏感になることが大切なのではないかと感じています。

 長い夏休みが明け、久しぶりにクラスの仲間と交流することで、仲間の良さというものを改めて感じることができたと思いますが、生徒諸君にはそのようなちょっとした心の動きにぜひとも敏感になってもらいたいと思います。

 この2学期は本郷祭や100周年の記念式典、学年によっては修学旅行があるなど、多くの行事が予定されておりますので、それらの行事に積極的に関わることでたくさんの人と接し、「「受信する」ちから」というものを大いに磨いていきましょう。